ど弱音と負けん気
常日頃、私は自身をまるごと滅多打ちにする傾向がある。
それを、本当に変えたいと今日改めて思う。
今年に入ってから30歳が急に近く思えて、正直焦りもある。
ざっくりと「私は、みんなみたいに社会人として立派に仕事ができるわけでもなければ
芸術に秀でているわけでもなく、家庭を築いて子どもを育ててるわけでもない。」
という具合に、わざわざ幅広いジャンルでこてんぱんにしてしまう。
どの人生も私には遠いのだ。
つい先日、わざわざ本番前にそういう悪循環に陥って、
「自分の気持ちに負けた状態」で歌ってしまった。 変に失敗するより悔しかった。
社会人になって、音楽やめた時期も長かったし
元々再開時は「細々できたら満点◎」っていう何の期待もなかった。
でもチャンスは巡ってくるもので、
少し仕事をもらうこともあって意識も意志も変化していった。
「やっぱり上手くなりたい。仕事はすごく嬉しい。」と、ど本音。
けれど、その気持ちがひょこっと出てくるたびに
「無理、やめとき、足元固め、何歳やねん、みんなもっとしっかりしてるぞ・・・」
って自分の中から声がする。
その後、先生に「あなたはずっと良くなってきましたよ。私がそういうんだから、信じて!自分を信じて!」と言われ、
私と全く次元の違う先輩には「これからもお互い頑張ろうね」と励まされた。
私は、嬉しくも恥ずかしかった。
勝手に人と比べて、自分の価値は遠く離れたところに軸を持っているんだなと。
人から言われたことで自分を測りすぎず、
ちゃんと価値を内に持って生きていきたい・・・
すぐには難しいけど、小さなことから。
帰路で椎名林檎さんを聴く
「・・・信じたいものが一番怪しくて 恐怖を覚えていながら どうしても負けちゃあいられない 私は今日も・・・」
はっとする。
めちゃくちゃ弱い私やけど、まだ負けてられへんなーと
そう思える自分を褒めながら帰った。
のだめ系からの脱皮
こないだ友人に
「音大って“のだめ”みたいな感じあるの?」と聞かれ、
その場では思いつかなかったけれど
「むっちゃ大事な出来事あった」と思い出した。
21歳のとき、先生の紹介で、
高校生の時から憧れていたピアニストさんに
演奏会で伴奏してもらえることになった。
初めての合わせ(一緒に練習する時間のこと)を
今でも鮮明に思い出しては、力に変えている。
最初は緊張しつつ楽しくて、よっしゃスムーズ!って感じ。
しかし、15分ほど経って
「・・・何しにピアノ弾いてるかわからない。」
と言われた。
そこから、以下要約やけど、
「曲の伴奏、少しでも弾いてみたことある?絶対音感か?だから弾かなくても音程合わせられると思ってる?」←図星
「自分の感覚ばかりで、いろんな角度から曲を見られてない。」←ぐうの音も出ない
「作曲家と時代背景と、曲ごとに違いがある訳だけど分かってる?」←自分の感覚に任せてた
とか、他にもいっっっっぱい。
まさに、「千秋先輩に鬼指導を受ける、自己流のだめ」であった。
合わせって、上手く行けば30分以内で終わるんですけど、この日2h近くいた。
(今思うと有難すぎて震える)
涙が帰りの電車で堰を切り、
隣のおばちゃんに「大丈夫?」と聞かれたこと、
一目散に家のリビングに滑り込み
「悔しい~~~~!!!」と泣いたこと。
あんなことは人生で初めてでした。
いかにちっぽけなセンスに酔っていたのか思い知った。
青いんだわ。
のだめちゃんみたいに、昔から聞き覚えする癖があったし、理論も苦手だった。
要は心のどこかで、
「それでいい」って思っていたんだと思う。
ドラマでもあったように、ちゃんと作曲者の話を聞こうと思った。
(楽譜読んで、歌もピアノもやって、作曲・作詞者のことも勉強するようになった。って感じです。)
無駄な音なんてひとつもないと肝に銘じた。
後日先生に近況を話したときは、笑顔で
「やっぱり!良い時間になると思ったよ。」と言われ、、、
カナワナイ、ホント。
おほん。ガチなのだめ話をしてしまいましたね。
また楽しいネタ的な話も思い出してみます。
原則、って結局なんや
最近「原則○○とする」通知がよくくる。
必ずと言っていいほど後ろには
「但し~」「やむを得ず~」とか安全ネットが張られている気がする。
(例)
原則オンライン対応とする。
在宅勤務を認めるが、原則出勤とする。
但し上司が認めた場合は遠隔可。
結局何がいいたいのかわからんのは私だけでしょうか。
「出勤再開やけど在宅がいい人は名乗り出て~上司と話して決めてな~~」ってこと?
その場合、希望?申請?自分から言うの?もうはっきりして~~~~~~~ってなる。
最近同世代とは
リモートで仕事に支障がない人は続けたらいいやんって話と、
この新しい生活になってから、出勤であれ、リモートであれ、なぜ、遠慮がちな指示しがちなんやろなって話をよくします。
まぁもちろん、前代未聞の事に何かを指示するのはこわいよね。
元通り出勤をみんなで統一して「いっしょ!」っていうのは安心やし
「何かを乗り越えている感」も生まれるし、それが大好きな人もいるでしょう。
わからんでもない。
しかし、こんな時こそはっきりと言葉を交わしたいし、
どうしたいか、こう考えてますっていうのを共有したい。
「察する」ことが苦手(というか察し合ってすれ違うのが一番嫌なだけ)なんですよね・・・
細かい理由はさておき、私はぜひとも申請したいし、
上に掛け合うつもりでいるのだけど、、、
世渡り上手は、上からの言葉を待つのかな。
原則は守るものだが、その後ろの安全ネットについ目がいってしまう話。
歌はよろこびよ -天使にラブソングを-
「天使にラブソングを」久しぶりに観た。録画溜めてたやつです。
なにげに初めてタイトルをつけてみました。(私の挑戦のハードルよ)
こんなに号泣する話やっけな、、感動した。
確か、初めてみたのは小学生。
6歳くらいまではディズニーばっかりみてたけれど
小学生に上がると、母が「サウンド・オブ・ミュージック」「アニー」「天使にラブソングを」などなど実写のミュージカルものを沢山かけてくれた。
しかし、当時は冒頭で「もうやめよ~や~(泣)」と言うてた記憶。
大体、字幕読めないもんね!
それでも「絶対好きになる!」と母は言い
そのとおり、私はがっつり心を奪われていきました…。
不思議よね、英語やし何言ってるのかわからんけど
この人は今、嬉しいのか悲しいのかくらいはわかるもんなんですよね。
(この話すごく長くなりそうだから今回は「天使にラブソングを」に絞ろう・・・)
小学生以降も定期的にみていたはずなのに、再発見が多かった。
主人公のデロリスが、シスターたちに歌を教えていくのだけれど
その時に「歌はよろこびよ」という。
母が昔、私のあらゆる本番前に「音楽は喜びやで」と言ってくれてたのだけど
「あれ?ここから取ってきたんか?!」って(笑)
この言葉にはっとさせられた。
社会人になって一層、練習が「自分の下手さと向き合う時間」になるときがある。
常々、自分はもう天井にぶち当たっているのではないかと思いながら・・・。
「ん?そんな気持ち、いるか?そや、歌はよろこびやったなあ。」
って素直に号泣した27歳春。
あと、デロリスによって、修道院の中では楽しい音楽、修道院の外でも地域との関わりが生まれた反面
昔ながらの考えの院長は「自分のいるべきところにいく」と言って出ていこうとするシーンも考えさせられた。
今まさにテレワークが導入されているが、考え方の違いなどすれ違いもある。
私は意見をはっきり言って”しまう”のだけど、
その割に「できる人だったら上を立ててニコニコするんやろな~なんでそれができひんのやろ~~」と、自責というか不貞腐れる日もあった。
映画を見ていて、デロリスはすごく口悪いし、意見もはっきり言いすぎるんやけど、ちゃんと人を尊敬して尊重していて・・・
あぁ、人を立てるとか上手く立ち回るとかより、シンプルに人を大切にすることやなって思ったよ。
あんまり難しく考えるな私~~~
最後に、マリア・ロバートが音楽と出会って輝く姿は本当に素敵です。
また観よう。
8
今日は暑い、半袖で過ごした。
3週間ぶりに電車に乗った。
在宅勤務も有難いけれど、慣らしが必要なほどこの生活も長引いてるなと思った。
立ち寄ったコンビニで、ついついお釣りのやり取りを手でやってしまって
お互いにハッとして謝った。世知辛い。
お気遣いありがとうって言えばよかったな。
にしても、直接人と話せるって嬉しい。
オンラインで友達と話したり、配信を見たり、
それも楽しいけれど、やはり対面にはかなわんなと思った。
音楽の世界でありがちなダメ出しやけど、
「休符を休みと思うな」ってやつ、
会話でもそうやなと思う。
〝間〟で相手の感情を感じていると思う。
私は、電話やテレビ電話の方が間がこわい。
あれ?通信の調子悪いかな?
話すの疲れたんかな?
とか。(いや考えすぎもあるけど!)
普段、何気なく感じとっていることを
今は手でわっさわっさ掻き回しているような…
疲れてきたら、歌とピアノを自分の〝間〟で思い切り歌い上げる。
とても気持ちいい。
7
配信しないの?って最近はよく聞かれる。
即答で誰も求めてないですからと答えてしまう。
可愛くない本音。
ちょっとは考えてみようかな。
音楽の才能みたいな大それたものはない
強いて言うならちょっと耳が良いくらいなんやなと思う。
朝ドラ「エール」で
「努力することが少し苦じゃなくて、人より少し簡単にできることにしがみつけば、道は開ける」みたいな言葉があり、残っている。
私は、何にどうしがみつけばいいんだろう。
そんなことを悩みながら20年以上、(もはや悩みではなく習慣やけど)
向いてないなと毎日思いながらも、私には音楽しかないなとも思っている。
だああああ矛盾だ!!!!
(真夜中の独り言でした)
6
そろそろタイトルくらいつけてもいいじゃないかと思いながら、6!
引きこもり生活、嫌でも入ってくるニュースに情緒不安定になり、
昨日はお風呂で泣けてきてしまったので、これはいかん!と立て直しday。
買い物に出た。八百屋さんで新鮮な野菜と果物、それからナッツを買う。
いいお天気だったので布団も干した。
そして、ルームウェアを2セットポチる。綿がホッとするんだな。
丁寧な生活ができると嬉しいし、安定する。
ひとまずこれで。
今の仕事はざっくりメンタルヘルスに関わっていて、いろんな人に出会う。本を読んでいろんなケースを知ることもある。
引きこもりや強迫性障害を抱えている方の生活は、想像を遥かに超えているのだろうと最近思う。
私は、3日家から出ないだけで憂鬱になる。
手洗いも30秒が(何となく数えているだけなのに)長く感じる。
引きこもるのも、何かに執着するのも簡単じゃないなと感じる。
自分の黄色信号を知ること、
「こうなったらこうする」みたいな引き出しを多く持っておくこと、
過去にそうアドバイスされて、転けそうになっても耐えられることが増えた。
今日は思い切りそんな感じの日。
大体の人はそんな引き出しなくても上手くやってるじゃないか、って最初は思っていた。
でも、そう見えていただけかも知れない。
実は、黄色信号で耐えられるのは簡単じゃないのかも、
上手く言えないけれど、簡単なことって少ないんだろうなと思った話。